癌の家族を持つということ 前半

ねりこの生活と家族

母が膵臓癌だとわかってから2年が経ち、

この4月に亡くなりました。

今回は、癌だとわかった時のこと、

通院による治療中の生活についてお話しします。

2年前の衝撃

2年前の5月。

ゴールデンウィークに父から突然の電話でした。

「お母さんが入院することになった。」

仕事が休みで、お出かけでもする?と

おうちでだらだらしていた時に連絡が来て、びっくり!

急いで病院に向かいました。

病院に着くと、母の顔はミカンのように黄色くなっていました。

いわゆる黄疸が出ていたのです。

「大丈夫、大丈夫!」母は元気そうでした。

顔色にびっくりしたけれど、元気そうでひとまず安心。

「何があったの?」

「うーん、癌なんだってさ。」

突然の言葉に頭がくらくらして、

重たくなっていったのを今でも覚えています。

「大丈夫、大丈夫!」

気丈は母は、こんな時でも心配をかけまいと、笑顔。

その表情は、今でもたまに思い出します。

「そうだよね!」

私も、暗くなってはいけないと、負けじと笑顔。

症状としては、膵臓の近くを通る胆管が、

癌によって圧迫されて詰まってしまい、

老廃物を出せないことで、黄疸が出てしまったとのこと。

今はゴールデンウィーク中で、詳しい検査ができないので

応急処置をして、休みが明けたら大きい病院で詳しく検査をしましょうと

お医者さんから説明を受けました。

すぐにでも、癌を取れるなら手術して欲しかったけれど

ゴールデンウィークでお医者さんもお休み。

なんだよ!と、ちょっとイラッとしたけど、しょうがないよね。

その後、病室で入院までの経緯を聞いたり、

冷蔵庫に賞味期限近いものがあるから食べてね、

洗濯干したままだったなーなどと、

たわいもない話をして、1時間ほど経った。

「また来るね。」

母に挨拶し、軽く手を握ったら、

そしたらね、母の手がちゃんと暖かくて、

癌だなんて、信じられないな、、、

どうして、母なんだろうな、、、

今まで張り詰めていた気持ちが急に弾けて

自然と涙が出てしまいました。

母の顔を見ると「泣かないの。」と涙。

父も涙。

家族みんなで、泣きました。

これがねりこの見た、母の最初で最後の涙でした。

それから約2年の闘病生活中、私たちの前で

涙は一度も見せませんでした。

その後の検査で、手術ができないと言われた時も、

1年の生存率が50%だと言われた時も、

肺に転移して、治療を辞めると決断した時にも。

とにかく、とても強い母でした。

癌の告知から、闘病へ

休み明けに大きな病院へ移り、精密検査を受け、

後日、家族が呼び出され告知を受けました。

「膵臓癌ですね。手術は今すぐにはできないですね。」

思ったより、すぱっと言われてびっくりしました。

病状は、膵臓癌の近くに大きな血管が通っているため、

すぐには手術で取ることができないとのことでした。

抗がん剤治療をして、小さくなれば取れるかもしれないけれど、

それができる確証は無いです。とのこと。。。

ねりこは、お医者さんの話す言葉を理解することでいっぱいいっぱいでしたが、

「手術できないとなると、余命はどのくらいですか?」

「抗がん剤治療で使う薬の種類とは?」

質問をする、母。すごい。。。メモまで取ってる。

「医学的な統計としてお伝えしますが、1年の生存確率は50パーセントです。」

「飲み薬と、点滴と。。。」

ひとしきり話しを聞いた後、病室に戻り母は、

「やるだけやってみるね!」と笑顔。

すごすぎる。。。

そこから、通院で抗がん剤治療をしていくことになりました。

イメージとして癌=入院だったのですが、違うのですね。

週に一回抗がん剤を点滴しに病院へ行き、

その都度白血球の数値を調べて、

少なくなっていれば一週休み。

白血球の数が戻れば再開、その繰り返しでした。

白血球の数値が下がりすぎると、ちょっとした風邪でも

重症化してしまうので、白血球の数値が重要のようでした。

抗がん剤は悪い癌細胞だけでなく、いい細胞にも働いてしまうみたいで、

その結果、体を守る機能の白血球や、体の細胞にも攻撃してしまい

気持ち悪くなったり、だるくなったり、眠くなったりするみたいです。。。

症状は、本当に人それぞれのようです。

母の場合は、だるさと足のむくみが特に辛そうでした。

だるさは、一度なると一日動けなくなるほどだったので、

用事がある日にそのだるさがぶつからないように

調節しながら通っていました。

むくみは、歩くと痺れを感じて痛くなるほど。

なので寝るときに足を高くして寝たり、マッサージをしたり。

優しくさすると気持ちいいようだったので、ねりこも時々していました。

あと、便秘にも悩まされていましたね。

出ない時には一週間ほどだったので、マグネシウムを飲んでいました。

食事の制限は特になかったのですが、

薬の副作用で味覚が鈍くなるようで、和食のような柔らかい味付けは

わかりづらかったようですね。

そんな時、イタリアンのような濃い目の味付けは良かったみたいです。

癌細胞の増殖を抑える働きがあるとされる、

ドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸が多く入っている

鯖缶をトマト缶と鶏肉と煮込む料理がお気に入りでした。

そんなこんなで、体の痛みが強くなるまでの一年半。

母は一人車を運転し、通院していました。

痛みが出てくるようになってからは、父が付き添っていましたが、

それまでは「大丈夫、大丈夫!」と。

やはり、母、強い。。。

私も送り迎えしたり、実家に頻繁にいきたかったのですが、

ちょうど妊娠中、そして、コロナにということもあって

帰ることで、うつしてしまったらいけないと、控えていました。

あまり帰ることができなかったのが、本当に悔やまれます。

もっともっと、近くで支えたかったです。

第二の患者

癌の診断を受けた人の家族を、第二の患者というそうです。

癌になった本人がもちろん一番辛いです。

ですが、周りの家族にも精神的なストレスと物理的なストレスがかかります。

そのストレス状態の中生活することは、結構辛いです。

無理をしてしまうものです。

ねりこの家族の場合もそうでした。

母の方が辛いのだから、大変だ、辛いと言ってはいけない。

思ってもいけない。出してもいけない。

気持ちを盛り上げて、明るく振る舞おう。

と無理してしまうこと。

そして、今まで母がしていたことが(家事、寺の会計業務など)を

やっていかなくてはいけない、という物理的な問題。

ねりこは離れて住んでいたので、それらのストレス量は少なかったかもしれませんが、

(それでも、ふとした時に考えてしまうし、頭は痛いし、寝ていても泣いて起きることもしばしば、、)

父は、近くでずっと支えてきていたので、

「お母さんは大変だからなぁ」

「辛いよなぁ」と

自分のことは二の次と言った感じでした。

随分と痩せましたね。

そんな時にこの言葉を知って、

気持ちが楽になったのを覚えています。

私たち家族も患者なんだ。

辛いって思っても良いんだ。

大変だと思うことは悪じゃないんだって、、

もちろん、実際に現状が良くなることはありません。

でも、それでも母と同じ患者という立場になれたことで、

今の辛さ、大変さが腑に落ちて、頭のもやが少し晴れたのを覚えています。

同じような境遇の方に強く伝えたいです。

辛いと思って良いんです。

大変だと嘆くことは、悪ではありません。

当然の気持ちなんですよ。

癌患者を家族もつということで学んだことでした。

後編では、緩和ケア病棟に入院してから、現在までを書きたいと思います。

この記事を書いた人

元幼稚園の先生、二児のママです。
子育て&投資やお金にまつわること、最近ではミニマリスト的な考えに憧れて、おうちの物を減らして整った暮らしを目指しています。
初心者ですが、娘や家族の為に勉強したいと思い、ブログを始めました。
(幼稚園での経験が役立ったらいいなと思いつつ、今はまだ活かせていません..育児って難しいです..)
同じ様に子育てや資産運用、そして、生活をより充実したものにしたい!心穏やかに余白のある暮らしがしたい!と頑張るママさんと情報交換・共有できたらいいなと思っています。
そして、ほんのちょっとでもお役にたてれば尚嬉しいです!
どうぞよろしくお願いします😊

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