プロフィール

ねりこ
ねりこ

初めまして、ねりこです。

ご覧いただきありがとうございます。

こちらでは、ねりこの生まれてから現在までを長々と語っています。

書いてみるとすごい量になってしまいましたが、もしよろしけばご覧ください。

生まれてから高校卒業まで

ねりこは広島で生まれました。

出産予定日から1ヶ月近く遅れて、帝王切開でした。

ちょうどねりこが生まれる直前に母の父、つまりおじいちゃんが亡くなったということもあり、

急遽里帰り出産になったのです。

母に妊娠•出産の話を聞くと、

  • 逆子で大変だった
  • 陣痛が来なくて、1ヶ月も長くお腹にいた
  • 肌が真っ白で、白雪姫みたいだった

この3つを必ず言われます。

そして、こう付け加えてきます。

「1ヶ月も長くお腹にいたのは、おじいちゃんが亡くなって田舎に一人でいる

おばあちゃんとお母さんが少しでも長く一緒にいられるように、

ねりこが気を利かせてくれたんだよね。

お母さん、おばあちゃんを田舎で独りにしておくのは

とっても心配だったから、助かったんだよ。ありがとうね。」

そんな話に、すこーし嬉しような誇らしいような、そんな気持ちになりましたね。

その後、横浜で2歳までマンション住まい。

父は勤めのお坊さんとして働いていました。

近くには川が流れていたので、よく近くを散歩していました。

母は、この河原に落ちていたカボチャからねりこが生まれたと、

謎の出生話を刷り込もうと何度も話していました。

そしてまんまとねりこは、自分のことをカボチャ姫だと思って生活していました笑。

その後父の仕事の都合で、現在の実家の場所に引っ越しきました。

そこは、都会へ電車で2時間ほどかかるちょっと田舎でした。

走り回れる庭(お寺の境内ですが)、冒険心をくすぐる裏山、雑木林。

トトロが大好きだったねりこは、そんな環境に大喜び!

木に登ったり、きのみを食べたり(ナツメ、あけび、グミの木、クルミなど)

父の野良作業用のカマで、竹林を切り開いて秘密基地を作ったり。

(今考えてみれば本当に危ない、、こねりにはさせたくないです。)

毎日母に「どこに行ってたの!!」と怒られるくらい

どろんこになりながら、やりたい放題に野山を駆け回っていました。

なので膝小僧は古傷だらけです。

幼稚園では、アスレチックが併設されている園だったので、

外遊びでは、基本的にそれに没頭。

中遊びでは、折り紙をひたすら作る日々。

基本、一人遊びをする子でした。

先生の立場からすれば、友達いないんだなと、

仲介の援助をし、友達ができる様に配慮する対象ですよね。

担任の先生が書いた当時の要録(成長の記録まとめた書類)は見たくないです。

ちょっと恥ずかしい幼稚園時代。

小学校では、全校が100人もいない学校で、

6年間クラス替えもない状態でした。

一人っ子で、幼稚園では一人遊びの日々だったので

友達に自分の気持ちを伝えるのが苦手で、どうしても上手くいかなくて、

自分の意見を押し通す性格になっていました。

なので当然、友達とも対立して、クラスで孤立した時もありました。

6年間メンバーが変わらないので、結構辛かったです。

今振り返れば、自分の悪かった部分がわかるのですが、

当時のねりこからすれば、

「どうして私の気持ちをみんなわかってくれないの??」

そんな気持ちでいっぱいでした。

なので、小学校時代はあまりいい思い出がありませんね。

唯一良かったことは、小学校にあった一輪車にクラスで一番最初に乗れたので、

みんなに教えてと、頼られた時には嬉しかったなぁと覚えています。

そんなこんなの小学生時代だったので、

中学校へ行くときに、小学校の同級生との関係を

自分中で全部断ち切ってから入学しました。

これが、ねりこの悪い性格、人間関係リセット癖につながっています。

現在はその癖もほとんど無くなりましたが、

幼稚園の仕事に着くまでは、そんな感じでした。

今考えてみれば、もっと人との繋がりを大切にすれば良かったなと後悔していますが。。

中学校時代は、そこそこ充実していました。

生徒数も増え、気が合う人とだけ関わっていけばいいのでとても過ごしやすかったです。

部活はバスケ部に入りましたが、サボり気味でした。

(休みの日や朝に練習するのが嫌だったから。。。

30代になって、部活もっとやっておけば良かったと思ってます。

こういう所で集団行動や上下関係を学ぶんですよね。

そういったものをやってこなかったので、就職して苦労しました。)

勉強は大体暗記してしまえばいい点が取れていたので、成績はいい方でした。

ですが、その丸暗記では本当の理解とは呼べないんですよね。

勉強のやり方を知らないまま卒業してしまったので、

のちの高校時代から大学受験の間は、特に壁にぶち当たり大変でした。

(勉強、理解したぞ!と実感する体験はほとんどなかったですね。)

高校は、地域の進学校へ入学しました。

中学校ではクラス委員をしたり、全校合奏コンクールで伴奏したりと

先生からの評価は高く、内申点もあったので入試をパスできました。

少女漫画雑誌リボンで連載していたGALS!の影響で

高校生は茶髪にするものだ!と思い込んでおり、髪を明るくし入学式へ。

すると、みんな黒くて、、あれ?高校デビュー失敗。。。

ですが、公立進学校はいい子ばっかりです。

みんな優しいし、いじめもないし、男女仲良し。

(茶髪ねりこでも、すぐ友達ができるくらい。)

個人のロッカーに、鍵なんかかけなくても物は無くなりません。

他の高校の子に言うとびっくりされましたね。

学祭や体育祭も盛り上がるし、すごく楽しかったです。

体育祭では実行委員になり、衣装やダンスを考えたりと

夏休みのほとんど、学校へ行っていたほどでした。

勉強に関してはレベルが高すぎて、とても苦労しました。

補習の時、数学の先生に「ねりこはもうこの公式だけ覚えればいいよ。。。」

と、言われたほどです。やばかったですね。

部活は茶道部へ。

お菓子が食べられるという動機でしたが、

そこそこハマり大学生の時にも茶道部へ入ったほど。

文化祭で茶道部がお茶会の出し物をした時に、父が仕事着(お坊さんの格好)のまま来てくれて、

目立ってちょっと恥ずかしかったけれど、嬉しかったのを覚えています。

できれば大人になった今も、もう一度やりたいなぁと思ったり。。

この頃は、友達の影響でバンドにハマり(お恥ずかしヴィジュアル系なのです。。。)

初めて原宿へ行ったり、ライブやイベントへ行く様になったり、

とにかく、都会がキラキラしていました。

色々なことを知って、経験して、

早く田舎から出たいという気持ちが高まっていきました。

大学生で一人暮らしに浮かれてた

大学受験をなんとかパスし、可もなく不可もなく普通の私立大学へ入学。

幼少期から地元にいることが嫌で嫌で仕方がなかったねりこは、

高校生の時から「大学生になったら一人暮らしをしたい!」と

日頃から両親に言っていたこともあり、無事承諾してもらえました。

受験が終わると同時に、即家探しを始め、

ロフト付きの1K、駅まで2分の物件を見つけました。

引っ越し後、嬉しすぎて、ママチャリで近所を爆走。

気がついたら50kmほど離れたところに来ていて、

帰るのが夜中になったこともありました。

大学では、文学部へ。

一人暮らしが目的の進学をした、ねりこ。

今考えるとそんな理由での進学はもったいないというか、ダメですよね。

もっと早く気がついていればよかったなぁと、

人生を思い返すときに、よく後悔します。

せっかく大学に行かせてくれたらと、

単位だけは落とさないように、むしろ卒業に必要な分よりも40近く多くとりましたが、

結局今の生活に活かせているのかというと、疑問です。

こねりさんには、大学へ行くことを目的するのではなく

将来の仕事や生活のための手段の一つとして考えてもらえる様にしたいですね。

サークルは茶道部、ゼミでは日本の伝統芸能についてを学ぶものへ入りました。

まぁ、そこそこ大学生活を楽しみ、恋愛もし、卒業しました。

ブラック企業に就職後、転職2回で人生に迷う

就職活動は、本当に悩みました。

そもそも、不純な目的で大学に入学していたので、

将来こうなりたい!という目標もありませんでした。

どんな業種がいいのか、自分は何がやりたいのか、

一から考えていかなければいけませんでした。

おしゃれや美容関係のことに興味があったので、

化粧品やエステ業界。

そして、ブライダルプランナーって響きがカッコイイなということで

ブライダル業界。

もちろん、そんなに強い動機もないのでことごとく落ちて悩みましたが、

なんとかエステ業界(一応業界的には最大手)へ内定をもらい就職。

大卒でエステ業界、舐めていました。

専門学校でなりたくて入ってきた人と、とりあえず就職した大卒組。

それは、意識や志がもちろん違いますよね。

どんどんと、大卒組は辞めていきました。

ねりこも、同様にその業界の楽しさを知る前に辞めてしまいました。

もうちょっと食らい付いていたら、楽しさも見出せたのかもと今なら思いますが、

その当時は女性の職場で上下関係が厳しいし、

営業のノルマがあって、控え室には売り上げ成績が張り出されて

ノルマの足りない分を自分購入し補填している人もいたりで、

超ブラックじゃないか!!職場環境最悪だ!

なんで、こんなに頑張らなくちゃいけないの?と

意識の低いことを考えていました。

でも、実家に戻るなんて嫌だし、なんとか生活をしなくてはと

転職活動を始め、なんとか医療事務に就職して2年半ほど働きました。

医療事務の職場はそこそこいい環境でしたが、

仕事に対しての充実感はなく、時間を切り売りしてお金をもらう

そんな感覚で生活をしていました。

毎日がつまらなかったですね、生きている意味なんかも考えるほど。

このままでいいのかな。。。ねりこの人生ってこんなもので終わりなのかな。。。

そんなの嫌だ!!!なんとかしなくちゃ!!

そう思い、行動し出したのは、24歳の夏でした。

仕事をしながら通信大学に通い、幼稚園教諭の資格を取る

まず自分は結局何がやりたいのか、よくよく考えました。

小さい頃の文集なんかも見たりして、大きくなったら何になりたかったのかを思い返しました。

イルカの飼育員、考古学者、パン屋さん、学校の先生、幼稚園の先生、宇宙飛行士。。。

色々思い描いていたんだなぁ。。。

そんな時に、幼少期友達がいなかったこと、

あまり友達関係が得意ではなかったことを思い出しました。

同じ様に幼稚園や学校で友達関係に悩んでいる子に、

私も同じだったよ。大丈夫だよ。といってあげたいな。

人との繋がりは大切だということを教えてあげたいな。

そして小さい頃から、将来のことを考えていけたら

ねりこみたいな人生の遠回りをしなくても済むんじゃないかな?

そんな気持ちから、教育業界に興味を持ちました。

そして、今からでも取得できる資格と照らし合わせて探しました。

仕事をしていたので、しながらでも取れる資格です。

もちろん、就職のしやすさなども考慮しました。

その当時は、1年間通えば幼稚園教諭2種が取れる最後の年でした。

(今は1年半から2年はかかる様です。)

これも、何かの縁!1年で資格が取れるならと、秋に通信大学へ入学。

通信大学は、学校に直接いくわけではなく、家でレポートを手書きして郵送で提出します。

問題文は二問、それぞれの答えについて1500文字ずつの論述していきます。

これが、結構というか、、本当に大変でした。

問題二問に答えるために、テキスト一冊読みこみ、考えをまとめて、しかも手書き。

仕事をしながらだったので、平日の夜や休みの日、仕事の休憩中ひたすらやりました。

人生で一番頑張ったと思います。

そしてレポートが合格した後に、試験を受けます。

レポートと試験の両方に合格しないと、その教科の単位がもらえません。

しかも、教科によってテストの日にちが決まっており

テストの日程が、年度内に一日しかないものもあるので、

一度落としてしまうと、来年度まで単位が取れません。

1年で資格を取る!と決めていたので、これは、結構なプレッシャーでした。

テストも論述式、一教科45分で問題が二問。

休憩時間はありません。

最初に、今日受ける教科分の回答用紙を一気にもらい、

全て終わったら提出して帰るスタイルです。

一日4科目まで受けられるのですが、ぶっ続けで4教科やると3時間書きっぱなしです。

問題は「教育においての5領域は、現場でどの様に活かされるべきか論述せよ。」のように

知識だけでなく、自分の考えも書いていかないといけないので、対策も大変でした。

職場に1ヶ月休みをもらい、教育実習にも行きました。

(実習先を探すときも、自分で片っぱしから電話をして頼み込みました。)

そんなこんなで、25歳の秋に無事単位を全て取得し、

翌年の3月に医療事務を退職。4月には晴れて幼稚園で働き始めました。

この期間は、毎日とても大変でしたが、とても楽しかったです。

目標があるということが、こんなにも生活を充実させるのかと、

身をもって経験した日々でした。

やると決めて行動すれば、できるんだ!

これは、ねりこの人生において、とてつもない自信に繋がりましたし、

やっと、人並みになれた気分で嬉しかったです。

(この通信大学に通う中で、今の主人とも出会いました。。)

幼稚園に就職後、結婚、妊娠し退職

幼稚園に就職し、初めは慣れないことばかりで本当に大変でした。

社会人として少しは働いていたけれど、全くその時のスキルは役に立たず、、、

そもそもニコニコ笑顔で人と喋るということから慣れなくて、

表情筋がつったこともありました。

でも、一から何かに一生懸命打ち込むというのはとても楽しくて、

失敗も沢山したけれど、自分の力になることも沢山でした。

(学生時代に部活や勉強一生懸命打ち込んだ人は、

この感覚を知っているんだろうなぁ、などと思ったりもしました。。。)

二つの幼稚園で働きましたが、園によって特色は全く違うし、

子供たちの雰囲気も違いましたね。

正直職員室でムムム、、、となる上司や後輩

園の古いしきたり?的なものに、イラッとすることもあったけれど、

それも含めていい思い出です。

担任になって、卒園式や進級していく姿に感動したり、

1年が終わって保護者の方にありがとうといってもらえたり、、、

私にとってこの仕事は、天職だなと思える日々でした。

もう、昔のように時間の切り売りをしている気持ちなんて全くなくて、

もう給料日か!と思えるのは、幸せな事だなとも思いました。

同期2人とは年は離れてるけれど、いい同期にも恵まれました。

未だに連絡をとっています。3人ともママになったね。

二つ目の園で仕事をしている時に、結婚し、妊娠をして退職しました。

結婚式には、受け持った子供たちや保護者の方がサプライズで来てくれて

全部で80人くらいでした。。。もう、本当にありがたかったです。

それを企画してくださった、職場の先生たちにも、本当に本当に感謝です。

今も園へ時々遊びに伺ったりもしています。

幼少期の人との関わりを長く持つ事が苦手で

すぐにリセットしたくなってしまうねりこでしたが、

人との繋がりを大切にできるようになったのも、成長かなと思ってます。

出産、そして現在

そして、現在。

幼稚園を退職すると決めていた2020年に、母は膵臓癌になり、

そしてねりこは、その冬に妊娠しました。

そこからは、怒涛でした。

妊娠期間中はコロナ禍で、実家に帰りたくても帰れない。

外にも出られない。

ずっと家に引きこもっていました。

あまり、楽しいマタニティーライフを送ることができなかったですが、

何事もなく、こねりは健康に生まれてきてくれました。

こねり
こねり

こねりです!0歳です!

しかもスピード出産、陣痛から1時間ほどでの誕生です。早かった。。。

母が生きている間に娘に会わせることは、人生で一番の

親孝行ができたのかな?と思っています。

昔、ねりこが生まれた時に母が、

「ねりこの誕生がおじいちゃんが亡くなって落ち込んでいた

おばあちゃんの支えになっていたんだよ。」と話してくれましたが、

今こねりが、まさに家族みんなの支えになってくれています。

こねりの笑顔で、家族が癒されています。

なんだか、不思議ですね。

そんな、大好きなこねりとパパと今幸せに暮らしています。

母が亡くなったことで、実家はちょっと大変なことになっていますが、

(それはごあいさつを参照)

なんとかやっています。

人生は一度きりです。

せっかくだから、毎日が充実できる様に、

日々を楽しめる様に、後悔しない様に、

邁進していきたいと思います!

ここまでご覧いただいた方、本当にありがとうございました。

長々と自分語りをしてしまいましたが、これがねりこの半生です。

これからはこのブログで、みなさんのちょっとでもお役に立てる様な

情報をお届けできればいいなと思っています。

そして、同じように子育てや家計を支えるママさん、

日々の生活を充実させるために頑張っている皆さんと共に

成長していけるよう、ねりこも頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

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